日本史の用語と解説
人物・事件・文化。137 語のうち 101〜137 語目です。答えを隠して、問いから答えを思い出してから読むと、覚えやすくなります。
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砂沢遺跡すなざわいせき
問い弥生時代の遺跡のうち、青森県弘前市にあり、弥生時代前期の水田跡が見つかったものはどれか。

砂沢遺跡は青森県弘前市にある弥生時代前期の水田跡で、稲作が早くから東北北部に広がった証拠です。
【関連】同じ青森県の垂柳遺跡でも弥生時代の水田跡が見つかっています。
蔭位の制おんいのせい
問い律令制のしくみのうち、上級貴族の子や孫に、父や祖父の位に応じて位階を与えたものはどれか。
蔭位の制は、上級貴族の子や孫に父・祖父の位に応じて位階を与える制度です。
【関連】官位相当の制は位階に見合う官職につける決まりです。
渤海ぼっかい
問い古代の国のうち、中国東北部にあり、8世紀から10世紀にかけて日本と使節を交わしたのはどれか。

渤海は中国東北部の国で、8〜10世紀に日本と盛んに使節を交わしました(727年に初来日)。
【関連】関係が冷えた新羅と対照的に問われます。
胆沢城いさわじょう
問い古代の城柵のうち、坂上田村麻呂が802年に築き、のちに鎮守府が移されたものはどれか。

胆沢城は坂上田村麻呂が802年に築き、のちに多賀城から鎮守府が移されました。
【関連】志波城は翌803年にさらに北に築かれた城です。
小野道風おののみちかぜ|おののとうふう
問い平安時代の書家のうち、三跡の一人に数えられ、和様の書風の基礎を築いたのはだれか。

小野道風は三跡の一人で、和様の書風の基礎を築きました。
【関連】三跡の藤原行成は和様を完成させました。もう一人は藤原佐理です。
図:伝頼寿/Public domain(Wikimedia Commons)
慶滋保胤よししげのやすたね
問い平安時代の人物のうち、日本往生極楽記を著し、往生した人々の伝記をまとめたのはだれか。

慶滋保胤は日本往生極楽記を著し、極楽往生した人々の伝記をまとめました。
【関連】源信は往生要集で極楽往生の方法を説きました。
図:Hannah/Public domain(Wikimedia Commons)
平忠常の乱たいらのただつねのらん
問い平安時代の反乱のうち、1028年に房総で起こり、源頼信が鎮めたものはどれか。

平忠常の乱(1028年)を源頼信が鎮め、源氏が東国に勢力を広げるきっかけになりました。
【関連】前九年合戦は頼信の子の頼義が戦いました。
三善清行みよしきよゆき|みよしのきよゆき|みよしきよつら
問い平安時代の人物のうち、914年に醍醐天皇へ意見封事十二箇条を出したのはだれか。
三善清行は914年、醍醐天皇に意見封事十二箇条を出し、地方政治の乱れを訴えました。
【関連】菅原道真は宇多天皇に重用された学者です。
藤原種継ふじわらのたねつぐ
問い古代の人物のうち、長岡京の造営を指揮したが、785年に暗殺されたのはだれか。
藤原種継は長岡京の造営を指揮しましたが、785年に暗殺されました。
【関連】早良親王はこの事件に関わったとして皇太子を廃されました。
鳥浜貝塚とりはまかいづか
問い縄文時代の遺跡のうち、福井県にある低湿地の貝塚で、丸木舟や漆製品などがよく残っていたものはどれか。

鳥浜貝塚は福井県の低湿地の貝塚で、水分の多い土のため丸木舟や漆製品がよく残っていました。
【関連】加曽利貝塚は千葉県にある日本最大級の貝塚です。
図:Opqr/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)
遣唐使けんとうし
問い古代の外交使節のうち、唐の制度や文化を学ぶために送られ、894年に菅原道真の意見で派遣が停止されたものはどれか。

遣唐使は894年、菅原道真の意見で派遣が停止されました。「白紙に戻そう遣唐使」で年を覚えておきましょう。
【関連】遣隋使は飛鳥時代に隋へ送った使節です。
長岡京ながおかきょう
問い784年、桓武天皇が移した都

長岡京は784年に桓武天皇が移した都ですが、藤原種継の暗殺で造営がつまずきました。
【関連】10年後の794年に平安京へ移りました。
応天門の変おうてんもんのへん
問い平安時代の政変のうち、866年に朝堂院の正門が焼け、伴善男が罪に問われて流されたものはどれか。

応天門の変(866年)で伴善男が流されて伴氏が没落し、藤原良房の力が強まりました。『伴大納言絵巻』に描かれています。
【関連】承和の変は842年の政変です。
図:Tokiwa Mitsunaga/Public domain(Wikimedia Commons)
橘奈良麻呂の変たちばなのならまろのへん
問い奈良時代の政変のうち、757年に藤原仲麻呂を倒そうとした計画が発覚し、多くの人が処罰されたものはどれか。
橘奈良麻呂の変(757年)は、藤原仲麻呂を倒す計画が発覚し、多くの人が処罰された事件です。
【関連】恵美押勝の乱(764年)は仲麻呂自身の反乱です。
阿倍比羅夫あべのひらふ
問い飛鳥時代の人物のうち、斉明天皇のもとで水軍を率い、日本海側の蝦夷を討って北方へ遠征したのは誰か。
阿倍比羅夫は斉明天皇のもとで水軍を率い、日本海側の蝦夷を討って北方へ遠征しました。
【関連】阿曇比羅夫は百済救援に向かった人物です。
縄文土器じょうもんどき
問い縄文時代に使われた、低温で焼かれた厚手の土器で、表面に縄目の文様をもつものが多い土器は?
縄文土器は低温で焼いた厚手の土器で、表面の縄目の文様から名づけられました。
【関連】薄手でかたい弥生土器との違いがよく問われます。
磨製石器ませいせっき
問い縄文時代に広まった、石を磨いて刃などを仕上げた石器を何というか。
磨製石器は石を磨いて仕上げた石器で、縄文時代から広まりました。
【関連】打製石器は旧石器時代が目安です。時代と道具の組み合わせで出題されます。
登呂遺跡とろいせき
問い静岡県にある弥生時代の遺跡で、水田の跡や高床倉庫の跡が見つかったものはどれか。
登呂遺跡は静岡県の弥生時代の遺跡で、戦後すぐに発掘され、水田跡や高床倉庫の跡が見つかりました。
【関連】佐賀県の吉野ヶ里遺跡(環濠集落)と区別しておきましょう。
大森貝塚おおもりかいづか
問い1877年にアメリカ人のモースが発掘し、日本の近代的な考古学の始まりとなった東京の貝塚は?
大森貝塚は1877年にモースが発掘した縄文時代の貝塚で、日本の近代考古学の出発点です。
【関連】モースは横浜から東京へ向かう汽車の窓から見つけたといわれます。
須恵器すえき
問い古墳時代に朝鮮半島から技術が伝わった、ろくろと登り窯を使い高温で焼いた灰色のかたい土器は?
須恵器は渡来人が伝えた技術で、ろくろと登り窯を使って高温で焼いた灰色のかたい土器です。
【関連】土師器は弥生土器の流れをくむ赤褐色の素焼きの土器で、並べて問われます。
氏姓制度しせいせいど
問いヤマト政権が、豪族を血縁などでまとまった氏に組織し、臣・連などの姓を与えて序列づけたしくみは?
氏姓制度は、豪族を氏(一族のまとまり)に組織し、臣・連などの姓(家柄を示す称号)を与えて序列づけたしくみです。
【関連】のちに天武天皇の八色の姓で組み直されました。
遣隋使けんずいし
問い7世紀初め、倭の王権が中国の皇帝煬帝のもとに送り、対等な立場を示す国書を届けた使節を何という?(人名ではなく使節の呼び名で)
遣隋使は隋へ送った使節で、「日出づる処の天子」で始まる対等な国書に煬帝は不快感を示しました。
【関連】隋が滅ぶと遣唐使に代わりました。
厩戸王(聖徳太子)うまやとおう|しょうとくたいし|うまやどおう|うまやとのおう|うまやどのおう
問い推古天皇のもとで蘇我馬子と協力して政治を行い、冠位十二階や憲法十七条を定めたとされる皇族は?
厩戸王(聖徳太子)は推古天皇のもとで蘇我馬子と協力して政治を進め、冠位十二階(603年)と憲法十七条(604年)を定めたとされます。
【別解】聖徳太子/厩戸王
【関連】現在の教科書では厩戸王(聖徳太子)と表記することが多くなっています。
飛鳥文化あすかぶんか
問い7世紀前半に飛鳥地方を中心に栄えた日本で最初の仏教文化で、法隆寺の釈迦三尊像に代表されるものは?
飛鳥文化は7世紀前半の日本最初の仏教文化で、法隆寺の釈迦三尊像は鞍作鳥(止利仏師)の作です。
【関連】飛鳥文化→白鳳文化→天平文化の順です。
天平文化てんぴょうぶんか
問い8世紀の聖武天皇のころに栄え、唐の影響を強く受けた国際色豊かな文化で、正倉院宝物に代表されるものは?
天平文化は聖武天皇のころの唐の影響が強い国際色豊かな文化で、名は当時の年号に由来します。
【関連】正倉院にはシルクロードを経て伝わった品も残っています。
国風文化こくふうぶんか
問い10〜11世紀に栄えた、唐の文化を消化して日本の風土や好みに合わせた文化で、かな文字の普及が代表的なものは?
国風文化は唐の文化を日本の風土に合わせて消化した文化で、かな文字から源氏物語や枕草子が生まれました。
【関連】遣唐使の停止だけが原因ではない点も問われます。
弘仁・貞観文化こうにんじょうがんぶんか
問い平安時代初めの9世紀に栄え、密教の影響を受けて曼荼羅や一木造の仏像がつくられた文化は?
弘仁・貞観文化は嵯峨・清和天皇のころの年号から名づけられた、最澄・空海が伝えた密教と結びつく文化です。
【関連】曼荼羅や一木造の仏像が代表です。
摂関政治せっかんせいじ
問い平安時代、藤原氏が天皇の外戚として摂政や関白の地位を独占し、政治の実権を握ったしくみは?
摂関政治は、藤原氏が外戚として天皇が幼いときは摂政、成人後は関白となって実権を握るしくみです。
【関連】藤原道長・頼通のころが全盛期です。
国司こくし
問い律令制で、中央の貴族が任じられ、国ごとに派遣されて国府で政治を行った役人は?
国司は中央の貴族が任じられ、国ごとに派遣されて国府で政治を行いました。
【関連】郡司は地方の豪族が任じられました。この違いは定番の論点です。
調ちょう
問い律令制の税のうち、絹や布など地方の特産物を、農民がみずから都まで運んで納めたものは?
調は絹や布など地方の特産物を納める税で、農民がみずから都まで運びました(運脚)。
【関連】租は稲、庸は労役の代わりの布で、庸も都まで運びました。
検非違使けびいし
問い嵯峨天皇のころに置かれた令外官で、京の治安の維持や裁判を担った役職は?
検非違使は嵯峨天皇のころに置かれた令外官で、京の警察と裁判を担いました。
【関連】蔵人頭と並ぶ、嵯峨天皇のころの代表的な令外官です。
平安京へいあんきょう
問い794年に桓武天皇が移した都で、以後長く都とされたものはどれか。
平安京は794年に桓武天皇が移した都で、「鳴くよウグイス平安京」で年を覚えておきましょう。
【関連】その前の長岡京はわずか10年で放棄されました。
往生要集おうじょうようしゅう
問い平安時代中期、源信が念仏による極楽往生の方法を説いた書物は?
往生要集は源信が念仏による極楽往生の方法を説いた書で、浄土教を広めました。
【関連】空也が市で念仏を説いたことと合わせて問われます。
末法思想まっぽうしそう
問い釈迦の死後、正しい教えが衰え、1052年からは世が乱れる時代に入るとする考えは?
末法思想は1052年から末法の世に入るとする考えで、極楽往生を願う浄土教が盛んになりました。
【関連】平等院鳳凰堂はその翌年の1053年に建てられました。
受領ずりょう
問い平安時代中期、任国に赴いた国司の最上席者で、徴税を請け負って富を蓄える者も多かった者を何というか。
受領は任国に赴いた国司の最上席者で、徴税を請け負って富を蓄える者も多くいました。
【関連】尾張国郡司百姓等解文で訴えられた藤原元命がその例です。
成功じょうごう
問い平安時代、私財を出して朝廷の儀式や寺社の造営を請け負い、その代わりに官職を得ることを何というか。
成功は私財を出して朝廷の儀式や寺社の造営を請け負い、その代わりに官職を得ることで、国司の地位を得る例も多くありました。
【関連】同じ官職に再び任じられることは重任といいます。
天智天皇てんじてんのう
問い白村江の戦いの後、都を近江大津宮に移して即位し、最初の全国的な戸籍をつくらせた天皇は?
中大兄皇子は近江大津宮で即位して天智天皇となり、最初の全国的な戸籍(庚午年籍)をつくらせました。
【関連】その死後の皇位争いが壬申の乱です。