世界史の用語と解説
世界の王朝と出来事。138 語のうち 51〜100 語目です。答えを隠して、問いから答えを思い出してから読むと、覚えやすくなります。
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ネブカドネザル2世ねぶかどねざるにせい
問い古代オリエントの王で、新バビロニアの全盛期を築き、ユダ王国を滅ぼして住民をバビロンへ連れ去ったのはだれか。

ネブカドネザル2世は新バビロニアの全盛期を築き、ユダ王国を滅ぼして住民をバビロンへ連れ去りました(バビロン捕囚)。
【関連】アッシュルバニパルはアッシリアの王で、ニネヴェに大図書館を建てました。
図:LBM1948/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)
クレイステネスくれいすてねす
問い古代アテネの政治家で、前6世紀末に血縁による部族を改め、区を基礎とする10部族制を作り、陶片追放を定めたのはだれか。
クレイステネスは前6世紀末に血縁による部族を改めて区(デーモス)を基礎とする10部族制を作り、陶片追放を定めました。
【関連】ペイシストラトスは僭主としてアテネを支配した人物です。
ムセイオンむせいおん
問い古代の学問や文化の施設で、プトレマイオス朝がアレクサンドリアに設け、多くの学者が集まった王立研究所はどれか。

ムセイオンは、プトレマイオス朝がアレクサンドリアに設けた王立研究所で、多くの学者が集まりました。
【関連】アカデメイアはプラトンがアテネに開いた学園です。
図:O. Von Corven/Public domain(Wikimedia Commons)
ホルテンシウス法ほるてんしうすほう
問い古代ローマの法で、前3世紀の初めに定められ、平民会の決議が元老院の承認なしに国法となると認めたものはどれか。
ホルテンシウス法(前287年)は、平民会の決議が元老院の承認なしに国法となると認め、平民と貴族を法の上で対等にしました。
【関連】十二表法はローマ最初の成文法です。
トラヤヌス帝とらやぬすてい
問い五賢帝の一人で、ダキアなどを征服し、ローマ帝国の領土を最大にした皇帝はだれか。

トラヤヌス帝は五賢帝の一人で、ダキアなどを征服し、ローマ帝国の領土を最大にしました。
【関連】次のハドリアヌス帝は拡大をやめ、ブリタニアに長城を築いて守りを固めました。
レオン3世れおんさんせい
問いビザンツ帝国の皇帝で、8世紀前半に聖像禁止令を出し、ローマ教会との対立を深めたのはだれか。
レオン3世は726年に聖像禁止令を出し、聖像を布教に使うローマ教会との対立を深めました。
【関連】バシレイオス2世は第1次ブルガリア帝国を征服した皇帝です。
インノケンティウス3世いんのけんてぃうすさんせい
問い中世のローマ教皇で、13世紀の初めに教皇権の絶頂期を迎え、「教皇は太陽、皇帝は月」と述べたとされる人物はだれか。

インノケンティウス3世のとき教皇権は絶頂を迎え、「教皇は太陽、皇帝は月」と述べたとされます。
【関連】グレゴリウス7世は叙任権闘争を始めた教皇です。
図:Unknown author/Public domain(Wikimedia Commons)
オットー1世おっとーいっせい
問い中世の君主で、レヒフェルトの戦いでマジャール人を退け、962年に教皇から帝冠を受けたのはだれか。

オットー1世はレヒフェルトの戦い(955年)でマジャール人を退け、962年に戴冠しました。これが神聖ローマ帝国の始まりとされます。
【関連】カール大帝の戴冠は800年です。
図:Axel Mauruszat/Public domain(Wikimedia Commons)
教皇のバビロン捕囚きょうこうのばびろんほしゅう
問い中世の教皇をめぐる出来事で、14世紀に教皇庁が南フランスのアヴィニョンに移され、約70年間とどまったものはどれか。

教皇のバビロン捕囚は、1309年から約70年間、教皇庁が南フランスのアヴィニョンに置かれた状態です。
【関連】教会大分裂は、その後ローマとアヴィニョンに教皇が並び立った状態です。
図:Jean-Marc Rosier (de/from http://www.cjrosier.com + http://www.gordes-immobilier.com)/CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons)
カールの戴冠かーるのたいかん
問い800年、フランク王が教皇レオ3世からローマ皇帝の冠を受けた出来事は?(「〜の戴冠」の形で)
カールの戴冠(800年)で、カール大帝は教皇レオ3世からローマ皇帝の冠を受けました。
【関連】西ヨーロッパがビザンツから自立する画期とされます。トゥール・ポワティエ間の戦いは732年です。
アメンホテプ4世あめんほてぷよんせい
問い古代エジプトの王で、アトンを唯一の神とする宗教改革を行い、テル・エル・アマルナに都を移したのはだれか。

アメンホテプ4世はアトンを唯一神とする宗教改革を行い、テル・エル・アマルナに都を移しました。
【関連】この時代の写実的な美術をアマルナ美術と呼びます。ラメセス2世はヒッタイトと戦った王です。
図:unknown/CC BY-SA 2.5(Wikimedia Commons)
サラミスの海戦さらみすのかいせん
問い古代ギリシアの戦いで、ペルシア戦争のさなか、テミストクレスの率いるアテネ海軍が敵の艦隊を破った戦いはどれか。

サラミスの海戦(前480年)では、テミストクレスの率いるアテネ海軍がペルシア艦隊を破りました。
【関連】マラトンの戦い(前490年)は重装歩兵が陸で勝った戦いです。
ヘロドトスへろどとす
問い古代の歴史家で、ペルシア戦争を主題に物語風の『歴史』を書き、「歴史の父」と呼ばれる人物はだれか。

ヘロドトスはペルシア戦争を主題に物語風の『歴史』を書き、「歴史の父」と呼ばれます。
【関連】トゥキディデスはペロポネソス戦争を批判的・実証的に記しました。
図:Marie-Lan Nguyen (2009)/Public domain(Wikimedia Commons)
プトレマイオス朝ぷとれまいおすちょう
問いヘレニズム時代の王朝で、エジプトを治め、アレクサンドリアを都として栄えたが、前30年にローマに滅ぼされたのはどれか。

プトレマイオス朝はアレクサンドリアを都にエジプトを治め、クレオパトラの時代の前30年にローマに滅ぼされました。
【関連】セレウコス朝はシリアを中心としたヘレニズム王朝です。
ラティフンディアらてぃふんでぃあ
問い古代ローマの社会で、征服戦争で得た土地に有力者が多くの奴隷を使って経営した大土地所有を何というか。
ラティフンディアは、征服地で有力者が多くの奴隷を使って経営した大土地所有です。
【関連】コロナトゥスは小作人(コロヌス)に耕作させる土地経営です。
パウロぱうろ
問い初期キリスト教の人物で、はじめは信者を迫害したが、のちに回心し、ユダヤ人以外への伝道に力を尽くしたのはだれか。

パウロははじめ信者を迫害しましたが回心し、ユダヤ人以外(異邦人)への伝道に力を尽くしました。
【関連】ペテロはイエスの弟子で、初代ローマ教皇とされます。
図:Pietro da Cortona/Public domain(Wikimedia Commons)
アタナシウス派あたなしうすは
問いキリスト教の教義の派で、神とキリストを同質とする立場をとり、ニケーア公会議で正統とされたのはどれか。
アタナシウス派は神とキリストを同質とする説で、ニケーア公会議で正統とされ、三位一体説の基になりました。
【関連】アリウス派はキリストの神性を否定し、異端とされました。
クリュニー修道院くりゅにーしゅうどういん
問い中世ヨーロッパの修道院・修道会で、10世紀にフランス東部に建てられ、聖職売買などを正す教会改革の中心となったのはどれか。

クリュニー修道院は910年にフランス東部に建てられ、聖職売買などを正す教会改革運動の中心となりました。
【関連】シトー修道会は開墾運動で知られます。
図:unknown/Public domain(Wikimedia Commons)
フィリップ4世ふぃりっぷよんせい
問いフランスの王で、14世紀の初めに三部会を初めて開き、教皇ボニファティウス8世と争ったのはだれか。

フィリップ4世は聖職者への課税で教皇ボニファティウス8世と争い、1302年に三部会を初めて開きました。
【関連】フィリップ2世はジョン王と戦い、フランス国内の英領の多くを奪いました。
図:Jean Louis Bezard/Public domain(Wikimedia Commons)
ワット・タイラーの乱わっとたいらーのらん
問い中世末期の争乱で、1381年にイングランドで人頭税への反発から起こり、ジョン・ボールも加わったものはどれか。

ワット・タイラーの乱(1381年)は、人頭税への反発から起きたイングランドの農民反乱で、ジョン・ボールも加わりました。
【関連】ジャックリーの乱(1358年)はフランスの農民反乱です。
図:Jean Froissart/Public domain(Wikimedia Commons)
ミケーネ文明みけーねぶんめい
問いエーゲ海の古代文明で、ギリシア本土に栄え、巨石の城塞王宮を築き、線文字Bを使った文明はどれか。

ミケーネ文明はギリシア本土に栄え、巨石の城塞王宮を築き、線文字Bを使った文明です。
【関連】クレタ文明はクノッソス宮殿で知られるクレタ島の文明です。
図:Andreas Trepte/CC BY-SA 2.5(Wikimedia Commons)
ダレイオス1世だれいおすいっせい
問いアケメネス朝の王で、全国を州に分けてサトラップに治めさせ、「王の道」を整え、ペルセポリスを造営したのはだれか。

ダレイオス1世は全国を州に分けてサトラップに治めさせ、「王の道」を整え、ペルセポリスを造営しました。
【関連】キュロス2世はアケメネス朝を建てた王です。
図:Ahura/CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons)
トゥキディデスとぅきでぃです|とぅきゅでぃです
問い古代ギリシアの歴史家で、ペロポネソス戦争を自ら体験し、史料を批判的に吟味して記したのはだれか。

トゥキディデスはペロポネソス戦争を自ら体験し、史料を批判的に吟味して記した、実証的歴史の祖です。
【関連】ヘロドトスはペルシア戦争を物語風に書きました。
図:user:shakko/CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons)
リキニウス・セクスティウス法りきにうすせくすてぃうすほう
問い古代ローマの法で、前4世紀に定められ、2人のコンスルのうち1人を平民から選ぶと決めたものはどれか。
リキニウス・セクスティウス法(前367年)で、2人のコンスルのうち1人を平民から選ぶことになりました。
【関連】ホルテンシウス法は平民会の決議を国法とした法です。
テオドシウス帝ておどしうすてい
問いローマ皇帝で、392年にキリスト教以外の宗教を禁じて国教とし、死に際して帝国を2人の子に分けたのはだれか。

テオドシウス帝は392年にキリスト教以外の宗教を禁じて国教とし、395年の死に際して帝国を2人の子に分けました。
【関連】コンスタンティヌス帝は313年にキリスト教を公認しました。
図:www.livius.org/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)
エフェソス公会議えふぇそすこうかいぎ
問いキリスト教の公会議で、431年に開かれ、キリストの神性と人性を分けて考える派を異端としたものはどれか。
エフェソス公会議(431年)で、キリストの神性と人性を分けて考えるネストリウス派が異端とされました。
【関連】ネストリウス派はのちに唐に伝わり、景教と呼ばれました。カルケドン公会議では単性論が異端とされました。
アナーニ事件あなーにじけん
問い中世の教皇と君主の対立で、1303年にフランス王の手の者が教皇ボニファティウス8世を捕らえたものはどれか。
アナーニ事件(1303年)は、フランス王フィリップ4世の手の者が教皇ボニファティウス8世を捕らえた事件で、教皇権衰退のきっかけとなりました。
【関連】カノッサの屈辱は皇帝が教皇に屈した事件です。
トマス・アクィナスとます あくぃなす
問い中世ヨーロッパの神学者・学者で、信仰と理性の調和を図り、『神学大全』を著してスコラ学を大成したのはだれか。

トマス・アクィナスは信仰と理性の調和を図り、『神学大全』を著してスコラ学を大成しました。
【関連】ロジャー・ベーコンは観察や実験を重んじた学者です。
図:Carlo Crivelli/Public domain(Wikimedia Commons)
金印勅書きんいんちょくしょ
問い中世の重要な文書で、1356年に神聖ローマ皇帝カール4世が出し、皇帝を選ぶ権利を7人の選帝侯に与えたものはどれか。

金印勅書(1356年)は皇帝カール4世が出し、皇帝の選出権を7人の選帝侯に与えました。
【関連】ヴォルムス協約(1122年)は叙任権闘争を収めた取り決めです。
図:de:Benutzer:Wolpertinger/CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons)
ウラディミル1世うらでぃみるいっせい|うらじーみるいっせい
問いロシアの歴史上の君主で、10世紀末にキエフ公国の大公としてギリシア正教に改宗し、国の宗教としたのはだれか。
ウラディミル1世は10世紀末にキエフ公国の大公としてギリシア正教に改宗し、国教としました。
【関連】リューリクはノヴゴロド国を建てたとされるノルマン人の首長です。
スキピオすきぴお
問いポエニ戦争に関わった人物で、第2回ポエニ戦争の終わりにザマの戦いでハンニバルを破ったローマの将軍はだれか。
スキピオは第2回ポエニ戦争の終わり、ザマの戦い(前202年)でハンニバルを破りました。
【関連】ファビウスは持久戦でハンニバルに対抗した将軍です。
コロナトゥスころなとぅす
問いローマ帝国の制度で、3世紀ごろから広まり、没落した農民などを小作人として耕作させた土地経営はどれか。
コロナトゥスは3世紀ごろから広まった、没落農民などを小作人(コロヌス)として耕作させる土地経営です。
【関連】ラティフンディアは奴隷を使う大土地経営です。
テマ制てませい
問いローマ・ビザンツの制度で、帝国を軍管区に分け、その司令官に軍事と行政の権限をあわせて与えたものはどれか。
テマ制(軍管区制)は、帝国を軍管区に分け、司令官に軍事と行政の権限をあわせて与えたビザンツの制度です。
【関連】プロノイア制は軍役と引きかえに土地の管理を任せる制度です。
教会大分裂きょうかいだいぶんれつ
問い中世の教皇をめぐる出来事で、14世紀後半から約40年間、ローマとアヴィニョンに教皇が並び立った状態はどれか。
教会大分裂(大シスマ)は、1378年から約40年間、ローマとアヴィニョンに教皇が並び立った状態で、コンスタンツ公会議で終わりました。
【関連】教皇のバビロン捕囚は教皇庁がアヴィニョンに移ったことです。
模範議会もはんぎかい
問い中世ヨーロッパの議会で、1295年にエドワード1世が聖職者・貴族・騎士・市民の代表を集めたものはどれか。
模範議会(1295年)は、エドワード1世が聖職者・貴族・騎士・市民の代表を集めた議会で、身分制議会の模範とされました。
【関連】三部会はフランスの身分制議会です。
ノルマン・コンクェストのるまんこんくぇすと|のるまんこんくえすと
問い1066年、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服した出来事を、カタカナで何というか。

ノルマン・コンクェスト(1066年)は、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服した出来事です。
【関連】ウィリアム1世としてノルマン朝を開きました。東西教会の分裂は1054年です。
図:Myrabella/Public domain(Wikimedia Commons)
ピピンぴぴん
問いフランク王国の人物で、メロヴィング朝を廃してカロリング朝を開き、ラヴェンナ地方を教皇に寄進したのはだれか。
ピピンはカロリング朝を開き、ラヴェンナ地方を教皇に寄進しました(ピピンの寄進)。これが教皇領の始まりです。
【関連】父のカール・マルテルはトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を退けました。
ヴォルムス協約ゔぉるむすきょうやく|ぼるむすきょうやく
問い中世の教皇と皇帝をめぐる出来事で、1122年に結ばれ、聖職叙任権をめぐる争いにひとまず決着をつけた取り決めはどれか。
ヴォルムス協約(1122年)で、聖職叙任権をめぐる教皇と皇帝の争いにひとまず決着がつきました。
【関連】カノッサの屈辱はその途中の1077年の事件です。
ロマネスク様式ろまねすくようしき
問いヨーロッパの建築様式で、11〜12世紀に広まり、厚い石の壁と半円アーチ、小さな窓を特色とし、ピサ大聖堂で知られるものはどれか。

ロマネスク様式は11〜12世紀に広まり、厚い石壁と半円アーチ、小さな窓を特色とし、ピサ大聖堂で知られます。
【関連】ゴシック様式は尖頭アーチと高い塔、ステンドグラスが特色です。
図:Perituss/CC0(Wikimedia Commons)
アウグスティヌスあうぐすてぃぬす
問い古代末期のキリスト教の教父で、若いころマニ教を信じたが、のちに回心し、『神の国』や『告白』を著した人物はだれか。

アウグスティヌスは若いころマニ教を信じ、のちに回心して『神の国』『告白』を著した、最大の教父とされる人物です。
【関連】ヒエロニムスは聖書をラテン語に訳した教父です。
図:Philippe de Champaigne/Public domain(Wikimedia Commons)
エラトステネスえらとすてねす
問い古代ギリシア系の学者で、アレクサンドリアのムセイオンで活躍し、地球の周囲の長さを測ったのはだれか。

エラトステネスはアレクサンドリアのムセイオンで活躍し、地球の周囲の長さを測りました。
【関連】エウクレイデス(ユークリッド)は平面幾何学を大成した学者です。
カルケドン公会議かるけどんこうかいぎ
問いキリスト教の公会議で、451年に開かれ、キリストには神性だけがあるとする説を異端としたものはどれか。
カルケドン公会議(451年)は、キリストには神性だけがあるとする単性論を異端としました。
【関連】エフェソス公会議(431年)はネストリウス派を異端としました。
オドアケルおどあける
問い民族移動期の人物で、ゲルマン人の傭兵隊長として476年に西ローマ皇帝を退位させたのはだれか。
オドアケルはゲルマン人の傭兵隊長で、476年に西ローマ皇帝を退位させ、西ローマ帝国を滅ぼしました。
【関連】東ゴートのテオドリックはオドアケルを倒してイタリアに東ゴート王国を建てました。
エグバートえぐばーと
問いイングランドの王で、9世紀前半にウェセックスの王としてアングロ・サクソン七王国を統一したのはだれか。
エグバートは9世紀前半、ウェセックス王としてアングロ・サクソン七王国を統一しました。
【関連】アルフレッド大王はデーン人の侵入を防いだ王です。
プロノイア制ぷろのいあせい
問いローマ・ビザンツの制度で、11世紀後半から広まり、貴族に軍役の義務と引きかえに土地の管理を任せたものはどれか。
プロノイア制は11世紀後半から広まった、貴族に軍役と引きかえに土地の管理を任せたビザンツの制度です。
【関連】テマ制は軍管区制です。
ウィクリフうぃくりふ
問い中世末期の聖職者・学者で、イギリスで教皇や教会を批判し、聖書を英語に訳したのはだれか。

ウィクリフはイギリスで教皇や教会を批判し、聖書を英語に訳しました。
【関連】ベーメンのフスはその影響を受け、コンスタンツ公会議で異端とされ火刑になりました。
図:Thomas Kirkby/Public domain(Wikimedia Commons)
大空位時代だいくういじだい
問い中世ヨーロッパの時期の呼び名で、13世紀後半の神聖ローマ帝国で、皇帝が事実上いない状態が約20年続いた時期はどれか。
大空位時代(1256〜73年)は、神聖ローマ帝国で皇帝が事実上いない状態が続いた時期です。
【関連】ハプスブルク家のルドルフ1世の選出で終わりました。
シモン・ド・モンフォールしもん ど もんふぉーる
問い中世イングランドの人物で、ヘンリ3世に反抗し、1265年に都市の代表も加えた議会を開いたのはだれか。
シモン・ド・モンフォールはヘンリ3世に反抗し、1265年に都市の代表も加えた議会を開きました。これがイギリス議会の起源とされます。
【関連】エドワード1世は1295年に模範議会を開きました。
カルマル同盟かるまるどうめい
問い中世ヨーロッパの同盟で、14世紀末にデンマークの主導でスウェーデン・ノルウェーと結んだ同君連合はどれか。

カルマル同盟(1397年)は、デンマーク主導でスウェーデン・ノルウェーと結んだ同君連合です。
【関連】ハンザ同盟は北ドイツの都市同盟です。
ラテン帝国らてんていこく
問い中世に建てられた国家で、1204年に第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領して建てたのはどれか。

ラテン帝国は、1204年に第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領して建てた国家です。
【関連】ニケーア帝国はビザンツの亡命政権で、1261年にコンスタンティノープルを奪回しました。